悪性腫瘍(あくせいしゅよう、英: malignant tumor)は、遺伝子変異によって自律的で制御されない増殖を行うようになった細胞集団(腫瘍、良性腫瘍と悪性腫瘍)のなかで周囲の組織に浸潤し、また転移を起こす腫瘍である。悪性腫瘍のほとんどは無治療のままだと全身に転移して患者を死に至らしめる[1][2]。
一般に癌(ガン、がん、英: cancer、独: Krebs)、悪性新生物(あくせいしんせいぶつ、英: malignant neoplasm)とも呼ばれる。
「がん」という語は「悪性腫瘍」と同義として用いられることが多く、本稿もそれに倣い「悪性腫瘍」と「がん」とを明確に区別する必要が無い箇所は、同一語として用いている。
語義
「悪性腫瘍(malignant tumor)」は、一般に「がん(英: cancer、独: Krebs)」として知られているが、病理学的には漢字で「癌」というと悪性腫瘍のなかでも特に「癌腫(上皮腫、carcinoma)」のことを指す。
日本語では平仮名の「がん」と漢字の「癌」は同意ではない。平仮名の「がん」は、「癌」や「肉腫」、白血病などの血液悪性腫瘍も含めた広義的な意味で悪性腫瘍を表す言葉としてつかわれているからである。したがって癌ばかりでなく肉腫や血液悪性腫瘍も対象にする「国立がん研究センター」や各県の「がんセンター」は平仮名で表記する[3]。
「癌」を表す「cancer」は、かに座 (cancer) と同じ単語であり、乳癌の腫瘍が蟹の脚のような広がりを見せたところから、医学の父と呼ばれるヒポクラテスが「蟹」の意味として古代ギリシャ語で「καρκίνος (carcinos)」と名づけ、これをアウルス・コルネリウス・ケルススが「cancer」とラテン語訳したものである。
漢字の「癌」は病垂と「岩」の異体字である「嵒」との会意形声文字で、本来は「乳がん」の意味である。触診すると岩のようにこりこりしているからで、江戸期には「岩」と書かれた文書もある。有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」には、乳がんを表す「岩(がん)」ということばが頻出する。
「癌」は当初「腺」「膵」と同様幕末の国字と思われていたが、中野操によって宋代より『衛済宝書』(1170年)、『仁斎直指方』(1264年)など多くの使用例があることが確認され、否定された。
「悪性腫瘍」は「悪性新生物」とも呼ばれることがあるが、malignant neoplasmの訳語として作られた言葉で、malignant「悪性の」、neo「新しく」、plasm「形成されたもの」を意味する。
なお、「癌」という言葉は、上記の用法をもとに比喩的に用いられることがあり、社会の機構や組織について「○○は△△のがんだ」ということがある[4]。
概念
「悪性腫瘍」とは、腫瘍の中でも、特に浸潤性を有し、増殖・転移するなど悪性を示すもののことである。
ヒトの身体は数十兆個の細胞からなっている。これらの細胞は、正常な状態では細胞数をほぼ一定に保つため、分裂・増殖しすぎないような制御機構が働いている。 それに対して腫瘍は、生体の細胞の遺伝子に異常がおきて、正常なコントロールを受け付けなくなり自律的に増殖するようになったものである。この腫瘍が正常組織との間に明確なしきりを作らず浸潤的に増殖していく場合、あるいは転移を起こす場合(多くは浸潤と転移の双方をおこす)悪性腫瘍と呼ばれている[1][2]。
がんの代謝
通常の細胞では、酸素が十分に供給されている時は、効率がよい酸化的リン酸化でエネルギー産生を行ない、酸素が十分に供給されない時は、効率が悪い解糖系によって、エネルギーを得ている。一方、がん細胞は、酸素が十分に供給されている環境下でも、エネルギー効率の悪い解糖系を活性化していることが知られている。この現象は、ワーバーグ効果と呼ばれている。この現象は以前から知られていたが、代謝物を一斉に測定・解析を行なうメタボロミクスによって、非がん組織と比較してがん組織で、解糖系の代謝中間体のプロファイルが明らかになり、解糖系の活性化が明確に示された[5]。
がん理解の歴史の概略
がんという病気を理解しようとする人たちは古代からおり、悪戦苦闘が繰り広げられてきた[6]。
(上述のごとく)cancerという言葉の歴史は古いもので、古代ギリシア語のkarkinos カルキノス(=カニ)に由来している[6]。あちこちに爪を伸ばし食い込んでゆく様子を、その言葉で表現したのである[6]。がん研究、腫瘍学を指す「オンコロジー」という言葉も、古代ギリシア語のoncos オンコス(=塊 かたまり)を語源としている。
古代ローマのガレノス(2~3世紀ごろ)は、がんは四体液のひとつの黒胆汁が過剰になると生じる、と考えた[6]。(ガレノスというのは1500年ころまでは、医学の領域で「権威」とされた人物である[6])。ガレノスの後継者のなかには、情欲にふけることや、禁欲や、憂鬱が原因だとする者もいた[6]。また同後継者には、ある種のがんが特定の家系に集中することに着目して、がんというのは遺伝的な病苦だ、と説明する者もいた[6]。
18世紀後半をすぎるころになると、がんの一因として環境中の毒(タバコ、煙突掃除夫の皮膚につく煙突の煤、鉱坑の粉じん、アニリン染料が含有する化学物質 等)もあるのでは、とする説が、多くの人によって提唱された[6]。
19世紀なかごろに、フィラデルフィアの名外科医のサミュエル・グロスは「(がんについて)確実にわかっていることは、我々はがんについて何も知らない、ということだけである」と書いた[6]。そして、そのような「何も知らない」という状況は、19世紀末の時点でも、ほとんど変わっていなかった[6]。
その後1世紀ほどを経た現在、がんについてある程度のことは分かったと言える状態になった。だが、その理解は一気になされたわけではなく、理解を進めるたびに研究者の間で新たな疑問が登場し、科学的な知識が徐々に増えてきた、という状態なのである[6]。がん研究は研究者たちにとって、多くの困難と挫折に満ちたものであった[6]。
20世紀初頭には、「感染症は特定の微生物によって引き起こされる」という説を支持する例が実験によって多数確認されため、他の病気も容易に解明されるだろうと考えたり、がんも解明されるだろうと予想する人は多かった[6]。だが、そのような予想は安易すぎたのである。
ウイルス説を巡る歴史
「がんは感染症ではない」とも考えられていた[6]。というのは白血病など、患者から家族や医療関係者に伝染することがないためである[6]。だが、動物(の個体)からとった腫瘍を他の動物(の個体)に移植すると癌が誘発されることが判った19世紀末以降は、がんにも感染性の病原体があるのかも知れないと考える人も出てきて、20世紀初頭までに原生動物・バクテリア・スピロヘータ・かびなどを調べた。それらの研究はうまくゆかず、がんの原因に感染症があると考える諸説は信用を失いそうになったが、ペイトン・ラウスが腫瘍から細胞とバクテリアを取り除いた抽出液をつくることを思いつき、それを調べれば細胞の他に作用している因子が見つかるかも知れないと考え、ニワトリの肉腫をろ過した抽出液を健康なニワトリに注射し、その鶏にも肉腫が発生するのを実験によって確認し、その腫瘍は、微小な寄生生物、おそらくウイルスに刺激され て生じたものかも知れないとした[6]。当時ウイルスの正体は分かっておらず、「…でないもの」という否定表現でしか記述できなかった[6]。科学者はがんが感染するという実験的事実から、未知の病原体が存在するであろうことにも気付いたのである[6]。その後ウサギでも同様の実験結果が得られたが、腫瘍を伝染させることに成功したのは主にニワトリ(やウサギ)の場合に限られていたので、やがてがんの一因にウイルスがあるとする説は評判が悪くなってしまい、これを支持する科学者は評判を落としてしまいかねないような状況になった[6]。異端の説だと見なされ、疑似科学者扱いされかねない空気が科学界に蔓延したのである。
ジャクソン研究所というのは、1929年に設立された組織で、今日では基礎医学研究用の規格化マウスを供給する組織として米国最大のものだが、そこでのがん発生研究のプログラムというのは、「問題は遺伝子で、ウイルスではない」という前提のもとに行われていた[6]。が、同研究所のジョン・ビットナーが、マウスのある種のがんは、母乳中の発がん因子が授乳を通じて子に移される仕組みであるという、ウイルスが関与しているという証拠を偶然に発見した[6]。だが、当時の科学界は上述のようにウイルス説を異端視していたので、ビットナーは躊躇して、それを「ウイルス」とは呼ばず「ミルク因子」と呼んだ。